大学病院から産業保健師へ!覚悟を決めて上京、行動すればなりたい自分に近づく

こんにちは。ArchNurseメディア運営チームです。今回の記事は、大学病院での病棟勤務を経て、覚悟を決めて上京、転職をして現在は、産業保健師として働くmoeさんのキャリアストーリーです。覚悟を決めて転職をして悩みながらも少しずつ着実に自分らしいキャリアを歩んでいる様子が伝わってきます。

moeさん
鳥取県で看護師として勤務。転職で上京し、現在は産業保健師として企業で働いています。今後のキャリアを模索中。好奇心旺盛なビビり。趣味は読書、映画鑑賞、旅行。

目次

看護師と産業保健師を目指したきっかけについて

ーー看護師になったきっかけと、産業保健に進もうと思ったきっかけを教えてください。
私は、地元の国立大学に進学ということを優先していたので行ける分野が医療系に絞られていました。そのなかでも人と話すのが好きで、誰かの役に立てる仕事内容に魅力も感じたので看護師を目指しました。
保健師は、救急で看護師をしていた時、脳血管疾患で障害が残り「もう生き続けるのは辛い。助けないでほしい。」という患者さんの言葉に衝撃を受けたことがきっかけです。その経験から、病気になる前に手を差し伸べたいと思いました。また、自分も含めて、働く世代が健康でイキイキと生活できるようになるための支援をしたいと思い、産業保健師を目指しました。

ーー看護師時代はどのような業務をしていましたか?
大学病院では小児科に配属され、小児科イベントの企画、病棟の業務をしていました。その後、地域密着型病院の混合病棟でオペ前後のケアなどの業務をしていました。

ーー産業保健師としてはどのような業務をしていますか?
産業保健師として1社目では、顧客先での産業保健活動をしており8社掛け持ちでした。主に健康面談、衛生講話資料の作成、派遣保健師の管理などをしていました。2社目は大手IT企業で約8,000名の社員を対象に産業保健活動をしています。

ーー看護師時代にきつかったことを教えてください
患者さんの病状が悪化したり「もういっそ殺してほしい」という声を聞くことや長い間、担当していた患者さんが亡くなるのは精神的に辛かったですね。常に命を預かっているという緊張感も私にとってはきつかったです。身体面では、有給が取れない、サービス残業が多いため体を休めることができなかったですし、休みの日も病棟に出てきて担当患者の看護計画を立てていました。忙しすぎてトイレに行けず膀胱炎が慢性化したり、とにかく忙しくて・・・慢性的な疲労がきつかったです。患者さんからの暴力も辛いことの一つでした・・・。

ーー産業保健師のきつかったことを教えてください
会社は病院とは違い、働く場所なので会社や社員から産業保健活動に理解が得られないことも多くて苦戦していますね。あとは、活動自体を否定されたり、予算がとれないこともありました。仕事上でのスキルとしては、私は数字が苦手なのでデータ集計、分析にも日々苦戦しています。

ーー看護師時代にたのしかったことはなんですか?
患者さんが回復して笑顔が増えていく過程を、小児科のイベント企画によって入院中の子供たちの喜ぶ顔が見れたことは今でも凄く印象に残っています。

ーー保健師時代にたのしかったことはなんですか?
医師の指示のもと活動していた看護師時代より、自分で一から考えて活動することが多いことは楽しいですね。長い目で対象者の生活をみて支援ができることにもやりがいを感じます。あと、個人的には色んな人の生活や仕事、働き方を知ることができるのも興味深くて楽しいです。

産業保健師への転職活動と企業の決め手について

ーー企業転職の決め手はありますか?
救急で出会った患者さんからの一言と、あとは死んだ目をして働いている同僚や自分を見たことですね・・・
ただ、短期的に決断したわけではなく、何度も何度も考えて半年くらいかけて上京+転職する決断をしました。上京に反対だった親には転職先が決まってから「もう転職先が決まってしまったので半年後には東京に出ないといけない」と伝えましたね(笑)

ーー転職活動はどのようにしましたか?苦労したことはありますか?
就活もろくにせずに看護師になったので、転職活動の全体像が見えず、具体的に転職活動といっても何をすれば良いのかわからなかったことがまず大変でした。経験者から聞くのが一番!と思い、SNSを活用して企業で働いている看護師さんに相談しながら進めました。また、地元だと企業で働ける求人が少なかったことも苦労しましたが、そこは覚悟を決めて上京しました!

ーーなぜその業界(企業)を選んだのですか?
1社目はベンチャー企業でした。自社の産業保健師ではなく、顧客先へ出向いて産業保健活動をしてくれる保健師を求めている企業でした。選んだ理由としては、未経験でも雇ってくれることと複数の企業で経験が積めると思ったからですね。
2社目は大手IT企業です。保健師10名体制で社員約8,000人を対象に自社の産業保健活動をする保健師を求めている企業でした。
1社目で、外部委託として産業保健活動をするのは限界があると感じ、自社で産業保健活動ができる、かつ保健師が複数人いる企業で働くために転職を決意しました。大手を選んだのは給料や福利厚生、有給のとりやすさなども考慮したからです。IT企業を選んだのは、社員と似ている労働環境に自分を身を置けると思ったからです。現場で体を動かすのではなくPC作業をしている社員が多い企業だと、社員が抱える健康問題も自分と似てくるので想像しやすいなと思いました。あとは単純に、IT企業ってなんかかっこいいから!という気持ちもありましたよ(笑)

看護師から企業への転職を経験して感じていること

ーー企業へ転職をしてみて感じたことはありますか?
結論としては、企業へ転職してよかったなと思っています。1番の理由は当たり前のことかもしれないですが、仕事前にどうしようもなく仕事に行きたくないと思うことがなくなったからですね。今、振り返ると私は病院で働くことが向いてなかったんだ思いますね。看護師でのきつかったことが自分には耐えられなかったんだなと思うのと、医師の指示のもとで動くより自分で考えて一から何かを企画することが好きなんだということに病院の外に出たことで気がつきました。
もちろん、今でもたくさんきついことはあるし、今後のキャリアに悩むことも多々あります。ただ、企業で働くことで建設的な考え方も知ることができ、「前向き」に悩むことが出来ているように思います。

ーー企業転職をしてみて気づいたことはありますか?
看護師時代、企業で働く看護師、保健師さんは特別な、優秀な人だと思っていました。でも覚悟を決めて行動すれば、なりたい自分になれるんだと気づいたことは企業転職の大きな収穫でしたね。
その一方で社会の厳しさも痛感しました(笑)
当たり前ですが、あなたは頑張っているから・・・と親切心で採用してくれる企業はないですし、産業保健師はとても狭き門です。でも、だからこそ自分を知り、相手(企業)を知り、そのうえで自分をどう魅せるかということを学ぶ良い機会になったと思っています。

ーーこれからやりたいことはありますか?
産業保健師としては、とにかく様々な経験を積みたいと思っています。苦手なデータ集計、分析にも挑戦していきたいです。また、私は何か変化をもたらす活動が好きだと気づいたので、提案しても変わらない・・・と諦めずに、定例業務のブラッシュアップや、1から企画して予算をとってくるようなことにも挑戦したいですね。そのためにまずは社内での信用を積み重ねることが大事だと考えています。

プライベートでは、記事を書く、Webデザインを勉強するなど「やってみたいけどやってこなかったこと」に沢山トライして「自分が何が好きなのか、得意なのか」を知っていこうと思っています!

さいごに

今回は大学病院看護師を経て、上京して産業保健師へと転職をした保健師のキャリアストーリをお届けしました。
覚悟を決めて上京するなど、行動していくことで自分らしいキャリアを歩んでいるのだと感じました。

みなさんの転職活動の何かのヒントになれば幸いです。

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