看護師から大学院へ進学、そして一般企業データサイエンティストへの道

看護師からエンジニアへの転職

こんにちは。ArchNurseメディア運営チームです。今回は看護師から大学院進学、さらに一般企業でデータサイエンティストとして転職したらんさんのキャリアに関する記事をまとめています。リアルな転職活動の様子も書かれているので是非、参考にしてもらえると嬉しいです。

キャリア記事を書いてくれた人

らんさん
メガベンチャーでOLになった元医療従事者。医療×ITビジネスの架け橋になるべく奮闘中。趣味はうつわ集め、美術館賞。人見知りしない派。

目次

海外で医療活動をするのだろうと信じていた学生時代

ーーなぜ看護師の道へ進みましたか?

私が医療関係の仕事をしたいと思ったきっかけは、小学校の社会科資料集に載っていた「海外で活躍する日本人」というコラムを読んだことがきっかけです。そのコラムでは、医療従事者が開発途上国で医療活動をしている写真と説明が書かれており、「言葉や国関係なく、色んな人の役に立つことができるんだ!私もそうなりたい!」と衝撃を受けたのを覚えています。

当時、友人宅にホームステイしている外国人が居たのですが、教育実習で私の通っていた小学校に来ていました。私は、カタコトの英語で頑張って関わろうとしていたことを覚えています。日本語が通じない人と初めて交流している中で、全くの異文化の人と気持ちが通ずる経験を通して、今まで感じたことのない嬉しさを感じたのもきっかけだったと思います。

さらに高校生になってからは、心理学や哲学に興味があり哲学科に進学したい気持ちがありましたが、元々人の相談に乗る機会が多く、人が笑顔になるのを見ることが自分の喜びだったので、対人サービスが合っているかもしれないと感じ看護学科への進学を決めました。小学生の頃に医療従事者になることを決めてから発覚したのですが、母方の親戚は医療従事者の方々が非常に多いことが分かり、家系的な縁もあるのかもしれないなと思います。

日本で数年看護師をしてから青年海外協力隊に行こうと思っていたので、大学時代はボストンやネパールへ医療研修に行き、「自分は海外で医療活動をするのだろう」と信じて疑わなかった大学生時代でした。

ハードで辛い時もあったけどやりがいもあった病院時代

ーー看護師としてどんな業務はしていましたか?

大学卒業後は、実習先であった企業病院に就職しました。初めは外科病棟に配属されたのですが、パワハラによる同期の退職が相次いだため、急遽半年後に急性期内科病棟に異動になりました。パワハラは、所謂お局さんや先輩からの嫌味、休憩室に座らせてもらえないなど、ひどい体育会系の部活のような感じでした。私はパワハラをする先輩たちもまた、そのまた先輩たちに怯えていることを知っていたので「辛いから当たりたくなるのかな」とやり過ごして何とかなっていましたが、こんな職場があるのかとびっくりしていました。

急性期内科病棟では、約2年間働きました。外科病棟と合わせて約3年弱働いたことになります。急性期内科病棟では、2年目の初めからリーダー業務を兼務し、先輩からとても手厚い教育を受けながら楽しく働いていました。循環器の患者さんを受け持つチームに居たので、心臓リハビリ業務も兼務していました。外科病棟と打って変わって、急性期内科病棟の先輩方はとても優しく、医師やコメディカルとも仲良く、良い雰囲気の病棟でした。仕事はハードでしたが毎日やりがいを持って楽しく仕事をしていたのを覚えています。

きつかったこと

入職して初めの頃きつかったことは、患者さんから怒られた時でした。認知症の患者さんから暴言を吐かれた時は、人から面と向かって思いっきり怒りをぶつけられたことが人生で初めてだったので、手が震えてしまい怖くて半泣きで病室に行っていました。それも少しづつ慣れてきましたが、先輩たちは冷静に対応されていてすごいなと思っていました。

あとは、夜勤が体に合っていなかったのか、夜勤明けの体調不良に年々悩まされたことがきつかったです。夜勤明けの吐き気や不眠、逆流性食道炎など発症し、年々体調が悪化していたので、休日は体調を回復させるために使っていました。「何のための休日なんだろう・・・。」と悩んだ時期もありました。

たのしかったこと

たのしかったことは、患者さんや患者さんのご家族と信頼関係を築き、主治医に素早い情報共有を行うことで効率的なケアの提供ができ、円滑な退院までもっていくことができた時です。私は効率的なことが好きなようで、患者さん・ご家族が満足し、医師・コメディカルの負担が減り、かつ質の高いサービス提供ができるよう、検討したり調整したりすることが何よりのやりがいとなっていました。さらにチーム内で残業が減らせるよう調整・サポートしたり、根回しすることも仕事をする上でやりがいを感じていました。

大学院進学か?海外か?の葛藤

ーー大学院進学のきっかけを教えてください

大学生の頃、卒論が面白いと感じた経験から研究に興味を持っていたので、元々大学院にいつかは進学したい気持ちがありました。ただ、海外に行くにしても「少なくとも3年は臨床経験を積む」と決めていたので、3年目を節目に大学院を受験することに決めました。大学院進学か海外へ行くかどちらを優先するかは迷いましたが、医療現場を経験することで「自分は日本のために貢献したい」と思うようになったことがきっかけで、大学院進学することに決めました。大学院へ進学することで、医療業界の取り巻く課題を見ながら、より大きく貢献するための人材になれると思ったからです。

看護師3年目の春に大学院受験を決め、そこから急いで願書提出・受験勉強を始めました。夜勤中は、不眠の認知症患者さんをナースステーションに連れて様子を見ながら、一緒に英語の勉強をしていたことを覚えています。笑 夜勤の仮眠中は試験勉強に充てていました。体調不良になって大変でしたが、夏に大学院受験をし無事合格できたので病院を退職する運びになりました。

 大学院卒業後の進路について

ーー企業への転職を考えたきっかけを教えてください

大学院進学前から、その後のキャリアとして「一度は企業に行く」と決めていました。理由としては、私は看護師として活躍できる人間なのか、もしくはどこの世界に行っても活躍できる人間になれるのか、どちらなのかを試してみたい気持ちがあったからです医療業界に貢献するためには、医療業界以外の人を巻き込む機会があるはずで、そうすると色んな働き方・文化を知っておくべきだと思いました。私は学生時代から医療系の枠から出たことがなかったので、「全体から見た社会人」として自分を測る指針がないなと思っていました。

また、何となくですが、私は企業で働く方が合っているかもしれないという感覚もありました。このような理由から、大学院卒業後は企業へ就職することを考えていました。

企業転職の決め手

ーー転職の決め手について教えてください

転職の決め手は、医療業界の課題解決をするには回転の速いビジネスに身を置くことが必要だと感じたからです。看護師のリーダー業務を兼務している中で、私は課題解決をすることが好きなことに気づきました。上述した「患者さん・ご家族が満足し、医師・コメディカルの負担が減り、かつ質の高いサービス提供ができるよう、検討したり調整したりすることが何よりのやりがいとなっていました」というように、全体を見渡して、「何が不足しているのか・どういった課題がありそうか」を考える方が得意かもしれないと感じていました。

リーダー業務では病床回転率を上げたり、退院調整の効率化、そして診療報酬項目の入力漏れをなくすこと、など日々の看護業務+αでのことにも関心がありました。それは、病棟という1つの組織の収益体制をどのように改善できるか、ということでした。この改善によって、患者さんへのケアの質が向上することは当然のことですが、医療従事者の満足度につながるのではないかと感じていたからです。

転職活動の方法や苦労したこと

ーー転職活動は具体的にどのように進めましたか?

まずは一般企業へ就職する方法が全く分からなかったので、それについてネットで調べたり、大学の就職セミナーに参加したりして情報収集しました。一般的に大学院生が就職を始める時期は修士1年からの場合が多いようなのですが、私は無知だったので修士2年の春から始めました。その後、理系専門の求人サービスへ登録してインターンに応募しつつ、別の転職サービスで就活を同時並行で始めました。

ーー転職活動を進める上で苦労したことはありますか?

正直に言うと、修士2年になったばかりの頃は、あまり企業就職のモチベーションが湧いていなかったです。研究が楽しかったので、博士後期課程への進学も視野に入れていたからです。就活の時期が遅れたこともあり、バタバタと忙しくなりました。企業就職をするための情報が何もないところからのスタートだったので、自分で調べてやっていくことが大変でした。

それから、私の研究室は修士卒の場合「統計解析職」に就く方が多い研究室でしたが、他の職種での状況が分からないため、企業で働くことのイメージがあまり湧いていなかったので、手探りで「本当にこれで大丈夫なのか?」と思いながら進めていたのも大変でした。

データサイエンティストへの道

ーーその企業・職種を選んだ決め手はありますか?

初めは、医療業界向けの経営コンサルタント職や、データサイエンティスト、産業看護職など、職種を絞らずに応募しました。しかし選考が進むにつれ、所属していた研究室の経験を活かすことができるデータサイエンティスト職への興味が湧いてきました。今は医療業界の業務効率化にDXを推進していますし、様々な医療業界向けスタートアップも立ち上がり、ITソリューションの選択肢が増えてきています。そのため、自分がエンジニアリングスキルとビジネススキルを両方もつ人材になれば、面白いキャリアになりそうだとも思い、この職種での内定を承諾しました。

看護師から企業への転職をしてみて感じていること

良かったこと、苦労したこと

ーーまずは良かったことを教えてください。

良いことは2つあります。1つ目は、自分のキャリアを職種で縛らない経験をしたことによって、「人生なんとかなる」という心の余裕ができたことです。自分は看護師以外に活躍する道がないのではないか、と思った時期がありましたが、それはただ自分が勝手に決めつけていただけに過ぎないと気づくことができたので良かったです。

もう1つは、改めて医療への貢献の気持ちが一段と強まったことです。医療業界に関わりがない方が大半の組織に身を置くと、文化の違いや職種の考え方の違いをみることができますし、自分が看護師という専門職ではなく一般企業の総合職として働く上での動き方も学べたことが自信に繋がったと思います。その中で、公共性のもとに成り立つ医療サービスを提供している医療従事者の方々へ、尊敬の気持ちが改めて湧きました。初心を忘れず、医療業界に貢献したいと思うことができました。

ーー苦労したことはありますか?

苦労したことは、入社してから完全未経験だったこともあり、パワハラにあったり上司から厳しいフィードバックをもらった時です。同期は皆優秀な方々で、入社時点での技術差は当然明らかですし、「自分には向いていない」と恐らく500回くらいは思ってきました。笑

パワハラしていた方は間も無く退職されたのですが(メッセージが来る際に動悸や過呼吸にはなっていました)、上司から「らんさんはPython苦手ですもんね。」と何気なく言われたことが最も辛かったです。自分は苦手とも嫌いとも思っていなかったのですが、そのように勝手に“できないレッテル”を貼られたことがショックでした。トラウマになったのか、一時期は仕事を始めるために2時間くらい勇気を出す時間が必要でした。笑

しかし、自分が何と思おうともそれが一般的な自分の実力であるのは明らかなので、受け入れてスキル向上に努めるほかありませんでした。上司にこれ以上あのようなことを言われたくなかったので、必死に仕事していたのを覚えています。そのお陰で、今では機械学習のモデルを作ったり、データ分析をしたりと、Pythonとお友達になってきた感覚はあります。

企業転職をしてみて気づいたこと

医療従事者が病院の枠を超えて活躍することも医療業界のためになるということです。短絡的に見ると、医療従事者が一時的に企業転職へ流れることは、人材確保の面で課題になるかも知れません。しかし、他の業界に医療従事者が介入することで、続々と参入する医療向けサービスの適切な設計や導入につながると思っています。それは、長期的に見ると、適切な外部サービスが入ることで、より医療現場の効率化・質の高いサービス提供につながることだと思います。

ですので、どの場所に身を置くかというよりも、現場だけでなく医療を取り巻く全ての環境に良い循環が生まれるように貢献することを目指せば良いのかなと思います。これから企業転職を目指す方々も、ご自身を信頼してやっていけば道がひらけてくると思います。

これからやりたいことは?

これからやってみたいことは大きく分けて2つあります。1つは起業をしてみたいと思っています。起業といってもスモールビジネスを想定していますが、自分でビジネスの一連をやってみる経験は貴重なものになると思っているからです。もう1つは、哲学専攻の大学生になることです。高校生の頃の進学先候補にしていただけに、文系学部へ進学する夢は今も持っています。学びを色々な面で活かすことができるようにしたいと思っています。できたら、かっこいいビジネスウーマンになりたいですね。

まとめ

看護師からエンジニア(データサイエンティスト)という道を選択したらんさん。病院時代も企業に転職をしてからも決して特別恵まれた環境というわけではないと思うのですが、その時々で自信を俯瞰してみることができて次のステージに繋げているのが素晴らしいなと感じました。そして最後のやりたいことも具体的で、もうすでにかっこいい!きっと近い将来にサラッと成し遂げていくんだろうなと感じました。みなさんもらんさんの記事から何か気づきを得てもらえたら嬉しいです。

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