今回は、精神科看護師からダンス教室、一般企業、そして訪問看護、マネジメントへ……と、一見すると少し驚くような道のりを歩んできたシーサーさんのキャリアストーリーをご紹介します。
実は、憧れの紅白歌合戦のステージに立った経験さえも、看護の現場で培った「観察眼」や「チームワーク」に支えられていたんだとか。年齢や環境に合わせてしなやかに働き方をデザインし、人生を二度、三度と楽しむ。そんな「攻め」のキャリアを歩む一人の看護師さんの、等身大でちょっと元気が出るリアルをお届けします。
この記事を書いてくれた人

シーサーさん
看護学校を卒業後、飲食店のフリーターを経て精神科看護師へ。30代後半で兼業ダンサーになり、有名アーティストの振付、ライブ出演を経験。現在、40代後半になり、改めて看護師にウェイトを寄せ始めている。
看護師としてのルーツと歩み
なぜ看護師を目指しましたか?
高2のとき、好きな子が看護師を目指しているという噂を聞いたこと。就職氷河期だったので、資格職がいいなと漠然と考えていたこと。主にこの2つが理由です。
医療職を調べるなかでリハ職も考えたのですが、職業辞典で看護師のページを見たとき、病院以外にも働ける場所があること、男性も少数ながらいることが書いてあり、看護学校への進学を決めました。
あとは女性がたくさんいるという下心もありました(入学後、えらい目に遭いました)。ちなみに、好きな子は看護学校に落ちました。
入学してからの苦労はありましたが、留年を経て国家試験に合格。病院はしばらくいいやと思い、飲食店でフリーターをしながら、趣味で始めたダンスに明け暮れ、3年後に精神科単科の病院に就職しました。
看護師としての業務は何をしていましたか?
精神科単科の病院で病棟看護師として働いていました。3年サイクルで慢性期、急性期、社会復帰病棟などを経験し、トータルで10年ほど病院に勤めました。
患者さんの回復が教えてくれたこと、そして自分を救ってくれたチームの絆
看護師できつかったこと、やりがいに感じたことを教えてください。
きつかったことは、患者さんの自殺や、感情を大きく揺さぶられる場面が多かったことでしょうか。
それでも病院の仕事が嫌いになることはありませんでしたし、健康を害することもありませんでした。ただ、仕事以外の時間をすべてダンスに費やしていたのは、精神的な負担があったせいではないかと思います。そう感じるようになったのは、病院を辞めて数年経った後でした。
やりがいを感じたのは、患者さんが回復していく様子や、外来やデイケアで元気な姿が見られることは、単純にうれしかったです。
スタッフ間のチームワークも取れていたので、みんなで一緒に仕事をするのも楽しかったです。また、仕事をしながらダンスを続けられる環境があったのも、よかった点だと思います。
病院を飛び出して知った、訪問看護と企業という「新しい選択肢」
転職を考えたきっかけを教えてください。
仕事に慣れてきて、変わりばえがなくなったように感じたことです。これは自分の仕事に対する姿勢のせいだとも考えています。勉強はしていましたが、出世はしたくなかったので昇進することもなく、同じ仕事を続ける状態が数年続いていました。
転職の決め手になったことはなんですか?
EXILEが大流行し、ダンスの習い事も急増していた時期でした。それに便乗して、子ども向けのダンス教室を副業的にやってみようと思ったのがきっかけです。
やっていくうちに真剣に取り組んでみたいと思うようになり、病院は辞めましたが、いきなり生活できるほど稼げるわけではありませんでした。そのため、訪問看護と看護師の人材紹介会社の仕事を並行しながら続けていました。
転職活動で苦労したことはありますか?
すべて人からの紹介で転職できたので、正直なところ大きな苦労はありませんでした。
強いて言うなら、実際に始めるまでは「なんとなく面白そうだけど、できるか不安」という気持ちがあったことぐらいでしょうか。ただ、この感覚になるときは、あとから振り返ると「やってみてよかった」と思うことが多いですね。
転職でなぜその業界(企業)を選びましたか?
どうせやるなら、病院以外の場所でやってみたいと漠然と考えていたからです。とくに強い思い入れがあったわけではなく、好奇心が理由でした。
ダンサーの仕事としては、子どもの教育的な側面から関われるからです。もともと小児科や保育士、教育分野にも興味があったので、それに近い仕事としてやりがいを感じています。
紅白のステージと訪問看護の現場。全く違う二つの世界が教えてくれた、対人支援の本質
転職をしてみてどうでしたか?
訪問看護について
良かったこと:看護師としてのスキルは、格段に上がったと思います。週1〜2回程度しか訪問に入っていませんでしたが、とても充実していました。
苦労したこと:利用者さんをきちんと看られるようになるまで、かなり勉強し、振り返りを重ねました。少し辛さはありましたが、筋トレと同じで「これをやれば確実に成果が出る」という感覚を持てたので、嫌になることはありませんでした。
企業・人材紹介会社について
良かったこと:思っていたよりも雰囲気はゆるいなと感じました。ただ、メールやチャットでのやり取りが多く、ビジネスマナー的なことは少し学べたと思います。
苦労したこと:自分が成果を出している感覚が薄く、少し居心地の悪さがありました。3年ほど働かせてもらいましたが、契約更新をしないと言われたときは、正直なところ安心した部分もあります。
ダンサーについて
良かったこと:頑張った分だけ成果が出やすいこと、そしてその逆も然りな点です。地元地域の人を対象とした仕事なので、生徒や保護者との関係づくり、学校や地域団体とのつながりが重要だと感じるようになりました。現在も訪問看護の仕事に部分的に関わっているため、地域医療と共通する点や、学べることが多いと感じています。そしてこれは運がよかっただけですが、憧れのアーティスト達と共演(紅白歌合戦、ライブなど)できたのはとても嬉しかったですね。
苦労したこと:集客やレッスンの質を上げるための試行錯誤には、かなりの時間を要しました。集客はいまだに手探りですが、生徒や保護者からの紹介で何とかつないでいます。始めた当初はレッスンの質が低く、生徒が数名しかいない状況が数年続きましたが、教え方について学ぶうちに、徐々に生徒は増えていきました。
現在苦労しているのは、年齢的に衰えていくなかで、どう続けていくかという点です。テレビやライブ、アーティストの振付などにも関わっていますが、若手ダンサーの方がスキルやセンスが高いと感じることも多く、体力の低下も含めて、どう続けるかを日々模索しています。
また、テレビに出たりアーティストと共演したりしても、それが直接集客につながることはほとんどありません。リアルな人間関係のなかで信頼を築いていくことが、成果につながりやすいし、気が抜けないなと感じています。
企業転職をしてみて気づいたことはありましたか?
人材紹介会社で働く方から言われて気づいたのですが、私は転職会社を必要としないタイプだそうです。
自分では当たり前の感覚で、これまで友人や知人のつてを使って転職してきました。訪問看護は、病院時代の先輩が管理者をしており、以前から声をかけられていたため、イチから人間関係を作るよりは多少マシだろう、という感覚で転職しました。
人材紹介会社については、ダンサーの後輩が働いており、「うちの部署で看護師向けのメディアや企画をやっているけど、看護師のスタッフが欲しい」と声をかけられたのがきっかけです。
仮に、これから転職をするとしても、知人や友人のつてを探すか、それがなくても自分で調べたり、実際に足を運んだりして転職先を決めていくと思います。
ダンサーとしての気づき
一定のスキルは当然必要ですが、それだけで食べていくには限界があるということです。世界的な大会で実績を残しているダンサーでも、悪い噂が絶えず、仕事があまり入ってこないという人もいます。
また、営業や事務作業、周囲との信頼関係づくりなど、すべてを自分で担わなければなりません。健康面にも気をつかいます。華やかに見える仕事ですが、実際のところ、会社員とそれほど変わらないのかもしれません。
そして意外なことに看護師としての経験はかなり活用されています。チーム(組織)をどうマネジメントするか、相手の強みをどう活かすか。また、生徒の不登校、保護者や家族の健康についての相談など。といっても軽いアドバイスや受診を勧めるぐらいですが、このような相談を持ちかけられることは少なくありません。メンタルのことになるとセンシティブゆえ、誰に相談すればいいか分からないというのもあるかもしれません。他にも、看護師というだけで相手から一定の信頼を得られる側面もあります。臨床経験がダンスの仕事にかなり活きているなと思います。
「今が一番おもしろい」。年齢に合わせて働き方をデザインする、しなやかなキャリアの形
これからやりたいことを教えてください。
40代後半になり、体力的な面も考えて、ダンサーの仕事を少し減らし、看護師の仕事を増やすことにしました。
具体的には、医療スタッフのマネジメントに関する業務に就く予定です。これはネガティブな選択ではなく、今後もダンサーの仕事を続けていくうえで、マネジメントする力は必要だと感じており、タイミング的にも声をかけていただいたのはちょうどよかったと思っています。
自分が動くというより、人の力・組織の力を借り、どう協力して成果を出していくか。年齢によってできること、できなくなることは変わっていくので、それを模索しながらやっていきたいです。
インタビュー後記
看護師免許は単なる仕事の資格ではなく、新しい挑戦を力強く支える「自由の翼」で「いつでも戻れる」という圧倒的な安心感があル。だからこそ異業界へ飛び出す勇気を持てるのかもしれないですね。
また、病院内で培った傾聴やアセスメント能力といった専門性は、一歩外の世界に出ることで、他者には真似できない希少な強みへと変わります。スキルを異なる領域へと「越境」させることで、あなただけのユニークな価値が磨かれていきます。
そして、40代という転換期にマネジメントへ軸足を移す決断は、多くの人にとっても重要で、戦略的な進化です。好奇心に従って点と点を繋いできた日々は、やがて自分にしか描けない一本のキャリアという線になります。
「何者か」になろうと焦る必要はありません。自分のペースで「選ぶたび、私になる」

